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蛤水道(はまぐり水どう)!<東脊振村・三田川町>

 今から400年ほどまえ,水路(すいろ)のせいびがじゅうぶんでなかったころは,水が不足(ふそく)していねがかれ,食料(しょくりょう)()りなくなることがしばしばありました。東脊振村(ひがしせふりむら)三田川町(みたがわちょう)はむかしから田手川(たでがわ)からの水を水田に引いてきました。そのころ,田手川も夏になると水が少なくなり,水田(すいでん)に水を引くための水あらそいがたえませんでした。
 さあ,こうなると成富兵庫茂安の登場(とうじょう)です。
 成富兵庫茂安は,どうやってこのむずかしい問題(もんだい)をかいけつしたのでしょうか。茂安は,蛤水道にもめずらしい工夫(くふう)をしています。みなさんも,そのひみつを見つけてください。 

<イラストの上をマウスでなぞってみてください。説明やリンクがはってありますよ>
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イラストや図から成富兵庫茂安の工夫のひみつを見つけよう!

@水路(すいろ)の長さはどのくらいあるでしょう?

A「のこし」はなんのために作ったのだろう?

 資料提供: ・佐賀県教育庁学校教育課                                      
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@茂安公の記念碑(きねんひ) A井手(いで) Cのこし