絵巻物に関する一考察

佐賀県教育センター 所員 衞藤拡典

【紙と巻子】
 美術表現に欠くことのできない支持体である「紙」は,紀元前1世紀頃中国で発明された。紙は軽く,持ち運びに適している。記録媒体としての紙は,それまでの木簡や竹簡の能力をはるかにしのいだ。
 製紙法は日本へは,610年(推古18年)高句麗の僧,曇徴によってもたらされたと言われているが,紙そのものはそれより早く,仏教の伝来と共に日本に伝わっていたと考えられる。なぜなら,仏教の経典は紙に書かれ,「巻子」という形をとっていたからだ。中国では,それ以前にも木簡などを束ねていた「簡策」があったが,木の軸に紙を巻いた「巻子」という形は,それと同じ発想である。そこに絵巻物のルーツがある。紙はそのような伝統形式を受け継ぐことで,折れたり,曲がったりすることなく,持ち運び・保管することができるようになった。こうして巻子という形は記録媒体としての紙の能力を更に向上させることとなった。
【絵巻物の概念構成】
 中国では巻子装の作品として,「画巻」が存在する。画巻とはいかなるものか。知られているところでは,雪舟筆の「山水長巻」を想起すればよいだろう。そこには絵巻物につきものの文字(詞書)がない。「山水長巻」はそういう意味で,絵巻物ではない。
 仏教伝来よって「巻子」が日本に伝わり,奈良時代に絵巻物のヒントとなる「絵因果経」が描かれたにも関わらず,10世紀前後に絵巻物がつくられるようになるまでに多くの歳月を要した。この空白の期間が意味するものは何か。「絵巻物」という概念が生まれ,発達した背景に何があるのか。そこには,平安時代の「ひらがな」の発明がある。なぜなら,「絵巻物」には主題としての「物語」が必要不可欠だからである。「ひらがな」の発明によって,世界最古の小説といわれる「源氏物語」などの,日本人の心情を自由に書き表した多くの文学作品が生み出され,それと呼応するかのように多くの絵巻物が制作された。
 絵巻物の全盛期は,王朝文学が盛んであった平安時代末期から鎌倉時代にかけてである。物語は必然的に時間の経過をはらんでいる。「絵」は写真のように瞬間を表すのに対して,「ことば」は瞬間から瞬間への推移,つまりは時間を表すことができる。しかも人間の心情の変化は時間の推移によってのみ表現可能である。つまり,絵と詞(ことば)を織り交ぜることで,瞬間と時間が結合され,そこに感情を注入することが可能となった。ここに「巻子」というハードと,「物語」というソフトが出会い,始めて「絵巻物」が発達した。
 「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」「鳥獣人物戯画」の4大絵巻と呼ばれる作品が描かれたのは,いずれも12世紀である。これらの絵巻物は,かつては「絵物語」や「物語絵」と呼ばれていた。ここで使われている「物語」という語句は,心情の推移のことである。
 言うなれば,絵巻物は「絵画」と「文学」のコラボレーションによって生み出された総合芸術である。両者は絵巻物において,「物語(ストーリー)」を表現するための構成要素として,互いを補い合う不可分の関係にある。雪舟の「山水長巻」が巻子装であっても絵巻物ではない理由とは,同作品に「物語」の中の「文学」あるいは心情の変化の要素が欠けているからである。また,絵巻物が同時期のヨーロッパに存在しない理由も,「文字の大衆化」の遅れと,他者の心情への関心の高さの質が日本とは違ったものであったためと思われる。ちなみにヨーロッパへの紙の伝播は12世紀と言われている。
 
【絵巻物の画面構成】
 巻子という形が,物語を表現するということおいて非常に有効であることは前節で述べた。絵巻物は,物語を「詞書(本文)」と「絵」で交互に表すことで,次々と場面を展開していく連続式画面である。絵巻物においては画面が右から左へと展開していくが,これは日本語表記の,右から左へという流れに沿った結果であろう。
 しかし,ここにひとつの問題が生じた。巻子という連続式画面において,時間の変化を表現するためには,時間すなわち場面と場面とを区切る必要がある。その結果,絵巻物では時間を「区切る」ことによって,場面と場面を円滑に「つなぐ」ことが求められたのである。そこに絵巻物発達の第3の要素があった。いにしえの人は「霞」と呼ばれる画面構成の工夫を考案し,場面の「円滑」な移行という難問を解消したのである。このことによって,絵巻物の時間と空間の表現はさらに自由なものとなった。以後,霞は時間や空間が変化する「記号」として使われるようになる。
 ひとつの場面が霞の中に消え,次の場面が霞の中から現れる。「霞」は場面転換の方法として非常に効果的な演出であるが,はたしてそれだけの理由で画面構成の工夫として霞が選ばれたのであろうか。絵巻物に描かれる霞は,単に自然現象としての霞を描いたものではなく,一枚の紙の上で時間と空間を変化させるという尋常ならざる「奇跡」を顕すために必要な「装置」であった。
 古来,日本では霞と雲は同一視されており,雲は幽事(この世以外のこと)の表出であった(※注)。その共通認識があったからこそ,かくも多くの絵巻物で霞が使用されたのではないだろうか。時代を経るにしたがい,霞は様式化された「霞形・雲形(すやり霞)」となる。更には,江戸時代の奈良絵本・絵巻においては,すやり霞は画面の上下を飾るための帯(源氏雲)として描かれた。また,室町〜桃山時代には洛中洛外図などに描かれる「金雲」として装飾化され,霞の役割は遠近感の表現に限定される。霞は以上のような図像的変遷を遂げ,象徴としての形式が強まる一方でその神秘性を失ってしまう。
 絵巻物という巻子形式の表現は,やがて記録媒体としてより効率的な現在の冊子(本)形式に取って代わられる。それとともに,円滑に場面をつなぐという絵巻物特有の画面構成の工夫も捨象された。効率化の裏には,このような「主題」ではないがイマジネーションの喚起にとって非常に大切なものの省略が発生する。この点においても,絵巻物は我々に大きな問いを投げかける。
【現代と絵巻物】
 映画やテレビから流れる映像では,時間や空間を変化させるためにフェードイン・フェードアウトの効果が多く見受けられる。これは絵巻物の場面変化の手法と同じである。テレビの前の現代人にとって,モニターの映像が「東京の現在の様子」から「オーロラの舞うアラスカ」に場面が変化しても,今さら当たり前のことで誰も驚かないだろう。次々とモニターに映し出される映像の前で,私たちはどれだけの「鑑賞の能力」を働かせているだろうか。「次々に変化する与えられた映像」と「絵巻物」が我々に与えるものの落差について考えると,そこに「見ること」への主体性が大きく関係していることが分かる。
 授業では,子どもたちは自分たちで描いた絵巻物の場面の移り変わりをとても楽しそうに鑑賞している。それは絵巻物の画面構成の工夫が,今の子どもたちにも素直に受け入れられていることを示すのではなかろうか。「霞」の次に来る場面を予想しながらワクワクすることが,どれだけ子どもの想像力や好奇心をかき立てているだろうか。その光景を見ながら,私はさぞや平安の世の人たちは贅沢な思いをしていたに違いないという感慨をもった。

(※注)
  「雲」の意味することについて考えてみると,例えば文学作品「源氏物語」では,本文が存在しない「雲隠の巻」という巻名のみの章が知られている。ここでは雲に隠れることが光源氏の死を暗示しており,雲は人知を超えた出来事「死」の暗喩として使われている。一方,13世紀に描かれた掛図「人道不浄相図(六道絵のうち)」(滋賀県 聖衆来迎寺所蔵)では,人が死に,やがて無に還って行く様が九つの場面で表されている。その第2の場面「膨張の相」は初七日を迎えた有様である。仏教では,死者は初七日で三途の川に至るとされている。画面では三途の川を表すであろう小川の上に図像としての「霞」が一筋の帯として描かれている。この霞は「死」を意味し,三途の川とともに此岸と彼岸を隔る役割を果たしていると読み取ることができる。霞が単なる画面構成の工夫としてのみ描かれたのであれば同図の他の場面にも使用されて然るべきであるが,そうはなっていない。これは幽事を意味する雲と霞を同一視していた図像学的見地からの証のひとつである。


《参考文献》
・ 秋山 光和  『ブック・オブ・ブックス日本の美術10 絵巻物』 1975年 小学館
・ 秋山 光和 『原色日本の美術 第8巻 絵巻物』 1968年 小学館
・ NHK取材班 『NHK国宝への旅第8巻』 1987年 日本放送出版協会
 テキスト 秋山光和 「源氏物語絵巻の世界」 
・ 奥平 英雄 『絵巻物再見』 1987年 角川書店
・ 中野政樹他編著 『日本美術全集 第8巻 王朝絵巻と装飾経 平安の絵画・工芸2』 1990年
講談社
・ 佐野 みどり 『じっくり見たい「源氏物語絵巻』 2000年 小学館
・ 黒田 日出男 『謎解き伴大納言絵巻』 2002年 小学館
・ 榊原 悟 『すぐわかる絵巻の見方』 2004年 東京美術
・ 日高 薫 『日本美術のことば案内』 2003年 小学館
・ 佐野みどり他編著 『日本美術館』 1997年 小学館
・ 京都国立博物館 『大絵巻展図録』 2006年 読売新聞社
・ 岡登 貞治 『文様の事典』 1989年 東京堂出版
・ 日 貞夫 『日本の伝統デザイン3 自然・図形』 2002年 学研
・ 井沢 元彦 『逆説の日本史 古代黎明編』 1993年 小学館
・ 石川 九揚 『「二重言語国家・日本」の歴史』 2005年 青灯社
・ 荒川 達  『私にもできる表具の作り方入門』 2006年 オルク