佐賀市商店街の空洞化とエスプラッツの閉鎖

            
(佐賀市の商店街の風景 2005年9月撮影)
1.佐賀市の中心市街地通行量の推移 (佐賀市商工会議所提供)
2.エスプラッツと佐賀周辺における大規模小売店の出店ラッシュの動き
1996年 2月 「まちづくり佐賀」発足。初代社長に西村正俊市長(当時)が就任。
1998年 4月29日、9月 エスプラッツとしてオープン。「まちづくり佐賀」2代目社長に田中稔・佐賀商工会議所会頭(当時)が就任。
1999年 3月 佐賀市長選で木下敏之氏当選。
2000年 9月 「まちづくり佐賀」3代目社長に長沼富士雄・佐賀商工会議所会頭(当時)が就任。
2000年 9月 9日 イオンショッピングタウン大和オープン
2001年 5月 「まちづくり佐賀」が15億円の貸付などを佐賀市に要請。
2001年 7月 5日 佐賀市が黒字化のめどがたたないとして要請を拒否。
2001年 7月10日 「まちづくり佐賀」がさが地裁に自己破産を申し立て倒産。負債総額約16億円。
2001年 7月11日 佐賀地裁が破産宣告。
2001年 9月12日 「ミス゛」が受け皿会社となっての再建を発表。
2001年11月15日 2回目の債権者集会。
2002年 1月23日 住宅金融公庫が住宅改良開発公社から代位弁済を受けて債権引き継ぎ。
2002年 2月 7日 住宅改良開発公社が一部商業床の競売を佐賀地裁に申し立て。
2002年 8月29日 住宅改良開発公社が担保権を設定している商業床(2、3階の各一部計約300u)の入札開始。9月6日まで。入札者なし
2002年 9月19日 住宅改良開発公社が担保権を設定している商業床の特別売却開始。11月18日まで。入札者なし。
2002年11月 1日 県信用保証協会が担保権を設定している商業床(2階の一部約1830u)の入札開始。8日まで。入札者なし
2002年11月21日 県信用保証協会が担保権を制定している商業床の特別売却開始。来年1月21日まで
2003年 2月 「ミズ」がエスプラッツの運営から撤退。
2003年 3月 モラージュ佐賀オープン
2005年 4月23日 イオンスーパーセンター佐賀店オープン
2004年 9月24日 佐賀市がエスプラッツを再生させるため市土地開発公社を通じて、破綻した管理運営会社の第三セクター「まちづくり佐賀」が所有する2,3階の商業床を約1億7千万円で購入。
2005年 5月9日 佐賀市の再開発ビル「エスプラッツ」の活用検討会は、民間4案の中から商業フロア1〜3階を買い取ってレストランなど食を中心とした集合ビル(オープンデッキ・レストランウェディングなど)にする県内飲食業の案を採択した。
2005年 7月17日 エスプラッツ民間による再生策断念。
2006年10月 佐賀市兵庫北にゆめタウンオープン予定
3.「まちづくり佐賀」の歩み
1985年 8月 佐賀中央第一地区市街地再開発準備組合設立
1995年 6月 再開発組合設立
1996年 3月 「まちづくり佐賀」設立。佐賀市が5000万円出資、社長に西村正俊佐賀市長(当時)
1996年 7月 再開発ビル着工
1997年 2月 佐賀市が「まちづくり佐賀」に2億5千万円出資
1997年 6月 再開発ビル名称「エスブラッツ」に
1998年 3月 佐賀市が「まちづくり佐賀」に1億5000万円を増資。出資総額4億5千万円に
1998年 4月 エスプラッツオープン
1998年 9月 佐賀商工会議所会頭(当時)の田中稔佐賀銀行会長に社長交代
1999年 2月 エスプラッツ3階の各テナント「喜久屋書店」オープン
1999年12月 1階から撤退したスーパー清和に代わりアニーがオープン
2000年 7月 エスプラッツの賃料をめぐり一部地権者が「まちづくり佐賀」を提訴
2000年 9月 佐賀商工会議所会頭の長沼富士男佐賀共栄銀行会長に社長交代
2001年 5月 「まちづくり佐賀」、佐賀市に15億円の公的支援を要請
2001年 6月 住宅金融公庫など14億円の長期借入金の元利返済始まる
2001年 7月 5日 佐賀市が支援拒否を回答
2001年 7月10日 「まちづくり佐賀」取締役会自己破産申請を決定