コカ・コーラ社 −ロバート・ウッドラフ−(1889年〜1985年)
1.全セールスマンを首に (本物へのこた゛わり)

ロバート・ウッドラフの戦略は、あくまでも品質とサービスを向上させることだった。この方針を従業員に徹底させるため時には手荒な手段をとることもあった。1926年のある日、コカ・コーラ社のCEOだった彼は、全セールスマンを招集すると、こう告げた。「もう、君たちに与える仕事はない。つまりクビだ。ただし、我が社では新たな職務を設けようと考えている。興味のある者は明日、会議に出席したまえ」翌日、緊張の面持ちで現れた従業員に対して、ウッド・ラフは新たな計画を発表した。彼ら全員に「セールスマン」の肩書きを捨てて、「サービスマン」として仕事をしてほしいというのだ。コカ・コーラはすでに全米のソーダ売り場に行き渡っていたが、ウッドラフはそれだけでは満足しなかった。さらに売り上げを伸ばしトップの座を獲得するには、客へのサービスを最高のものにすることが鍵だと考えたのだ。こうして、サービスマンがそれぞれ新たな担当地域に派遣され,販売店でのサービス指導に当たることになったのである。コカ・コーラ社のサービススタッフは,ウッドラフが理想とする「一杯一杯を常にベストな状態で提供できるソーダ水売り場」の実現に向けて努力を重ねた。ウッドラフは、1923年から31年間にわたってコカ・コーラ社のCEOを務めた。かつては神経強壮薬として薬局で売られていたコカ・コーラは、ウッドラが引退した1954年には、世界中で愛される清涼飲料として70億ドルの売り上げを誇るまでに成長を遂げていた。そして現在も、アメリカを代表する製品の一つとして、その地位を守り続けている。品質を一定に保つために、ウッドラフはコカ・コーラに関するあらゆるものに規格を設定した。 

@ソーダファウンテン専門学校を設立し、コカ・コーラの正しい出し方をサービスマンや販売員に徹底的に指導した。理想的に温度は1℃で「冷たくなければ売れない」ことを頭に叩き込んだ。
A使用されるグラスは、最も風味を高めるとされるベル形の特注グラスに統一された。
Bグラスに入れる氷についても、コカ・コーラ社が特別に用意した六又のアイスピックで砕いたものに限定された。
C全工場の衛生管理にも重きを置いた。
D規格設定は製造部門だけにとどまらず、帳簿の付け方からトラックの色、運転手の制服に至るまですべて統一するという徹底ぶりであった。広告もどんな小さなスペースであろうと、「コカ・コーラ」のロゴは1行に収めなければならなかった。