【資料】活用方法
松浦党緊急会議までのシナリオ
1333年 後醍醐天皇から綸旨を受け、足利尊氏が六波羅探題を攻める。
鎌倉幕府が滅びる。
1334年 建武の新政が始まる。
武士の不満が高まる。
京都の二条河原に落書がかかげられる。
1335
8  足利尊氏が北条時行の中先代の乱を鎮圧するために鎌倉へ出陣する。
11  足利尊氏が後醍醐天皇に対して反乱の兵をあげる。
12  足利尊氏軍が新田義貞軍を箱根で破り、京都に入る。
1336年
1 足利尊氏が新田・楠木・北畠軍に破れ、瀬戸内海から九州へ向かう。
212 新田義貞を追討せよという光厳上皇の院宣(命令書)を足利尊氏が受け取り、勢力をばん回する。
2月下旬 筑前(福岡県)の少弐氏や薩摩(鹿児島)の島津氏などの有力な武士が足利尊氏に味方することを明らかにする。
2月末 足利尊氏から松浦党にも協力要請の手紙が届く。
31 肥後(熊本県)の菊池武敏軍(後醍醐天皇方)に参加している松浦党の一族が、緊急会議を開催する。
戦いの前日の軍勢は 菊池軍 3000人
松浦党 2000人
足利軍 500人