ロール・プレイング・シミュレーション会議 プロフィール集
【会員番号1】   赤木 隆久 (東松浦郡鎮西町赤木 在住)
24歳。母と祖父母と弟が2人いる。父が急な病で急死したので、家を継いだばかり。したがって、松浦党の会議に出るのは今回が初めてとなる。領地には水が少なく、稲作には苦労している。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号2】  堀田 勝 (東松浦郡肥前町万賀里川 在住)
43歳。妻、2人の息子、2人の娘がいる。文永の役では、祖父が佐志房らと共に戦死。弘安の役では、父が伊万里湾で勇敢に戦ったことを幼いころに聞かされて育った。子どもが多いので負ける戦は選びたくないと思っている。
会議直前の立場は、中立派。
【会員番号3】  渡邊 正成 (東松浦郡肥前町星賀 在住)
35歳。妻、息子と娘がいる。文永の役では、祖父も伯父も佐志氏親子と勇敢に戦ったが、多勢に無勢で戦死。先祖伝来の土地は一所懸命に守らなければ、と考えている。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号4】  吉田 進 (唐津市千々賀 在住)
19歳。家督を継いで1年になる。文永の役では、祖父も伯父も佐志氏親子と勇敢に戦ったが、多勢に無勢で戦死。先祖伝来の土地は一所懸命に守らなければ、と考えている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号5】  井手 直義 (伊万里市南波多 在住)
50歳。妻、息子と2人の娘、孫が2人いる。元寇のときに、父が土倉から借金をして博多湾の防衛に当たったが、十分な恩賞がなかったので、借金の返済のために田畑を取られた。今回の戦を最後に引退し、息子に家督をゆずろうと思っている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号6】  井上 久 (東松浦郡肥前町入野 在住)
41歳。妻、息子と3人の娘がいる。元寇の時に、一族の男は全員戦死した。まだ、幼かった久の父親だけが生き残った。
会員番号2番の堀田勝とはいとこになり、歳も2つしか違わないので、兄のようにしたっている。
会議直前の立場は、中立派。 
【会員番号7】  名古屋 経昭 (東松浦郡鎮西町名護屋 在住)
名古屋氏はもともとは藤原氏の系統であるが、平安時代より肥前名護屋に住み、名古屋姓を名乗っている。草野氏よりも早く松浦党に加わっている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号8】  佐々木 信綱 (東松浦郡浜玉町山田 在住)
30歳。祖母、父母、妻、息子がいる。武士は、天皇の命令には必ず従うべきだと親に言われて育った。後醍醐天皇方に味方するつもりで、博多まで出てきたが、足利尊氏は光厳上皇の院宣(命令書)をもらったと聞き、少し迷っている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号9】  神田 歳一 (東松浦郡肥前町星賀 在住) 
39歳。母、妻、息子2人と娘がいる。元寇の時には、領地の1つである加部島が侵略され、家臣の男たちはほとんどが戦死した。建武の新政では、貴族ばかりが優遇されたので不満を持っている。会員番号19番の佐志守とはいとこになる。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
会員番号11】  前田 猛 (東松浦郡肥前町納所 在住)
44歳。母、妻、娘2人がいる。前田の一族は、文永の役で戦死した佐志房親子と共に、多くの武士が討ち死にした。したがって、前田の家の力は、ずいぶんと衰えてしまった。猛は、何とかして家運を盛り上げたいと考えている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号12】  波多 忠 (東松浦郡北波多村徳須恵 在住)
45歳。妻、息子と3人の娘がいる。波多氏は上松浦党のリーダー格の家柄であり、平戸方面の下松浦党の諸氏にも顔がきく。松浦党を滅ぼさず、存続させることが第一と考える。
会議直前の立場は、中立派。
【会員番号14】  山代 貴 (伊万里市山代 在住)
39歳。母、妻、息子2人と娘がいる。弘安の役では、祖父、父、叔父が伊万里湾での夜襲攻撃に参加し、手柄を立てた。領地は守ったが、恩賞は出なかった。ふだんは、領民と共に米や麦を作っているが、ときどきは馬に乗って野山を走り回り、弓馬の練習をおこたらない。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号15】  鳥巣 義人 (東松浦郡浜玉町鳥巣 在住)
37歳。父母、妻、息子と娘2人がいる。鳥巣氏は松浦党の一族だが、領内には壇ノ浦の戦いで敗れて隠れ住んだ平氏の子孫が暮らしており、平氏との縁もある。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号16】  松本 高時 (東松浦郡玄海町湯野尾 在住)
46歳。妻、息子2人と娘2人がいる。ふだんは、家族と田畑を耕し、ゆっくりした時間を楽しんでいる。弓の使い手で、趣味は、弓で猪をうってうまい鍋を食べることである。会員番号2番の堀田勝の妻は、高時の妹である。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号17】  峯 義知 (東松浦郡相知町中山 在住)
52歳。妻、息子と娘2人、孫が2人いる。ふだんは、田畑を耕すかたわら、作礼山に登って上松浦地方を見渡すのがすきである。戦はあまり好きではないが、松浦党の会議で決まったことには従うつもりである。会員番号12番の波多氏の分家筋にあたる。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号18】  石志 義正 (唐津市石志 在住)
28歳。父母、と弟が2人いる。病気がちの父に代わって家督をついで3年になる。会員番号12番の波多忠とはいとこになる。領地内には、松浦川の水が豊富にあるので、今年も米は豊作だった。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号19】  佐志 守 (唐津市佐志 在住)
40歳。母、妻、弟夫婦、娘が2人いる。文永の役では、佐志房と息子3人が領地に上陸してきた元軍と戦い戦死した。守の父は佐志の分家から本家に養子に入って本家を継いだ。月に1度は、太刀神社に参拝に行く。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号20】  田平 一慶 (北松浦郡田平町 在住)
42歳。妻、弟、息子と娘、領地は、平戸島の目の前にあり、海上交通の要地である。元寇のときには大きな被害を受けた。田平氏は、船を大小20隻有している。源平の壇ノ浦の戦いでは、途中から源氏方に味方し、その功績で、源頼朝から田平の地頭に任命された。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。  
【会員番号21】  相知 智 (東松浦相知町相知 在住)
33歳。母、妻、息子と娘がいる。ふだんは、厳木川沿いにある田畑で農業をしている。月に1度は八幡岳に登山し、源氏の武将として有名な八幡太郎義家の神社に参拝をする。八幡岳の頂上からは、上松浦も下松浦も筑後国も肥後国も見渡せる。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
会員番号22】  相浦 義次 (佐世保市鹿ノ前 在住)
39歳。妻、弟、息子、亡兄の妻と息子と同居。去年、兄が急死したので家を継いだ。領地は、佐世保九十九島の近くにあり、多数の船を停泊させるには便利なところである。壇ノ浦の戦いでは、源氏方に味方し、手柄を立てた。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号23】  値賀 彰 (東松浦玄海町普恩寺 在住)
27歳。母、弟と娘が2人いる。ふだんは、主に畑作と、わずかな稲作を行なっている。水田が少ないので、海上輸送にも力を入れ、利益をあげようと努力している。会員番号29番の有浦氏とは、いとこになる。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号24】  平戸 基由 (長崎県平戸市 在住)
43歳。妻、息子3人がいる。領地は、平戸島の北部である。弘安の役では、元軍の船が多数来襲し、領内は大きな被害を受けた。平戸氏の一族は、勇敢に戦い、鷹島周辺での海上戦で活躍した。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号25】  鬼塚 義輝 (唐津市鬼塚 在住)
45歳。妻、息子、娘2人がいる。ふだんは、松浦川そばの田畑で農作業に精を出している。川舟を出して、釣りをするのが好きである。会員番号12番の波多氏の分家にあたる。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号26】  中村 誠 (唐津市半田 在住)
39歳。妻、息子2人、娘2人がいる。ふだんは、半田川そばの田畑で農作業をしている。ときどき、子どもと一緒に鏡山に登って、唐津湾を眺めている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号27】  寺田 満 (東松浦郡玄海町牟形 在住)
36歳。父母、妻、息子と娘がいる。仮屋湾の入り江近くで、半農半漁のくらしをしている。会員番号29番の有浦氏は、近い親戚にあたる。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号28】  草野 経介 (唐津市鏡 在住)
45歳。妻、息子と2人の娘がいる。草野氏の本家は久留米にある。源平の戦いで早くから源氏に味方した恩賞として、鏡の荘園をもらった。もともと松浦党の一族ではなかったが、鎌倉時代の終わりごろには、一族に加わった。
会議直前の立場は、中立派。
【会員番号29】  有浦 一成 (東松浦郡玄海町有浦 在住)
32歳。父母、妹、息子と娘が2人いる。有浦氏は上場台地の松浦党では、リーダー格の家柄である。一成が家を継いで6年目になる。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号30】  岡本 義繁 (東松浦郡七山村藤川 在住)
35歳。父母、息子2人と娘が2人いる。義繁は、文永の役で大矢野三兄弟と共に奮戦した岡本長繁の孫になる。ふだんは、玉島川の上流で田畑を耕し、鮎を釣ったり、沢でカニを取ったりしている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号31】  近藤 勇 (東松浦郡浜玉町砂子 在住)
41歳。妻と息子3人と娘がいる。近藤氏は鎌倉時代より前から浜崎に住んでいたが、会員番号28番の草野氏が鏡の荘園に来てからは、草野氏の側近として働くことが多くなっている。
会議直前の立場は、足利尊氏派。
【会員番号32】  呼子 朗 (東松浦郡七山村藤川 在住)
42歳。妻と息子3人がいる。呼子氏の領地は水田が少なく、米があまり取れないが、漁業が盛んで、暮らしは豊かである。会員番号9番の神田氏とは近い親戚になる。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号33】  堤 義子 (東松浦郡浜玉町浜崎 在住)
31歳。息子2人と母がいる。義子は会員番号26番の中村誠とはいとこになる。ふだんは、家族や家臣と田畑を耕している。夫が亡くなったばかりで、長男もまだ元服をしていないので、当分の間は一族を率いている。できれば、戦を避けたいと思っている。
会議直前の立場は、中立派。
会員番号34】  黒川 泰久 (伊万里市黒川町大黒川 在住)
40歳。妻と息子と娘2人がいる。黒川氏の領地は伊万里湾の一番奥にある。そのため、弘安の役の時も、大きな被害は受けなかった。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。
【会員番号35】  保利 重利 (唐津市町田 在住)
37歳。母、妻、息子と娘3人がいる。保利氏は、代々、次の時代の流れをよむのが上手な家風を持つ。時代の流れを早くよみ、勝つ戦を心がけてきた。松浦党の会議でも強い発言力を持っている。
会議直前の立場は、後醍醐天皇派。